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ヒマラヤ遠征を終えて
曽我部知行
今回の遠征は最初から雲をつかむような状態で、行きあたりばったり失敗ばかりの連続で、何 度も「もうだめかな』と頭を抱えたものだけど、人間必死でがんばればなんとか道が開けてくる
もので、力も経験も無い我々でも、マンダT峰の頂上へ立つことができました。
ヒマラヤヘ行こうという話が出てから3年の間、今にもつぶれそうな計画をなんとか皆で立て 直しながら目標の山を選定し、やっと待望の登山許可の収得、そして本格的な準備へとあわただ
しく過ぎ去りました。特に出発前の一年間は、登山科の払い込み方法の失敗、ビザ発行の遅れに より登山期間の短縮や、出発間際に得られたインドが60年ぶりの冷夏に襲われ荒天続きというニ
ュースとまるで悪夢のような毎日でした。よくヒマラヤ遠征は日本を出発することができれば、 ほとんど終ったようなものだと言われますが、まさに我々の遠征はそのとおりでした。それだけ
に多くの知人に見送られて松山を出発することができた感激はひとしおでした。しかし、私は登 山活動に入ってからも順調に行かず、B.C.にてひどい高度障害を起こし、その上持病が出て行動
不能となり、一人ベースキャンプで休養していたときは、ここまで来て登頂を諦めなければいけ ないかと情け無い思いもしました。日本でもインドでも苦労の連続だったけど、ヒマラヤの山々
を実際にこの目で見れたことやインドという過去と未来がごっちやになった複雑怪奇な、そして 魅惑的な国を歩けただけでも素晴しいことなのに、マンダT峰登頂という幸運にも恵まれたこと
は本当にラッキーでした。一言で言うなら『終りよければすべてよし』というところでしょうか。 今では、苦しかったことも楽しい思い出となり、バカみたいに熱中していたときが懐しく思い出
されます。
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