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                   隊 員 紹 介

  


  佐々木 雅敏   昭和30年10月21日生

   隊長・医療

  昭和56年3月、愛媛大学医学部卒。今回の遠征の為に愛媛大学医学部附属病院を辞め、現在、愛媛県立中央病院に勤務。
 昭和55年のバキスタンのトレッキング以来、ヒマラヤヘの夢を待ち続け、今回やっと念願叶ったという次第。ビザ取得の為、一足先にインド入りし、精力的に渉外をこなして、流石は隊長と回りをうならせた。しかし、本人のビザと仕事の都合で、頂上を前にして下山しなければならなかったのは何とも残念であったろう。





  曽我部 知行   昭和32年6月1日生

   装備・輸送・梱包


昭和51年4月、愛媛大学工学部海洋学科入学。遠征の為に卒業を1年遅らせ、現役7回生として参加。愛大山岳部の中 心的存在である。今回の遠征でも実務面の中心的役割を果たし、怠け者揃いの遠征隊をマンダの麓まで引っ張り上げた。この人なくして、この遠征は考えられないであろう。唯、登山活動仁入ってから、高度障害と持病の痔に悩まされ、思うような行動がとれなかったのが心残りのようだ。





  佐々木 貴徳   昭和35年3月11日生

   会計・保険


昭和53年4月、愛媛大学農学部園芸学科入学。曽我部と同じく卒業を1年遅らせ、5回生として参加。小柄な体に似合わない強靭な体力の持ち主であり、遠征中常にマイペースで登り続け、結局一度も大きく体力を崩すことがなかった。天性のクライミングの素質には諸先輩も舌を巻く程であるが、残念ながら、現段階ではその素質も十分に活かしきれていない様子である。これから先が楽しみな人材である。




  川口 裕幸  昭和34年7月23日生

   食料


 昭和53年4月、愛媛大学法文学部法文科入学。やはり卒業を遅らせ5回生として参加。遠征中一番元気だったのが、彼であろう。BC付近で皆が高度障害に悩まされていた時、常にトップに立ってルート開拓に荷上げにと動き回った。その反動か、初めてのC2泊ではひどい頭痛と吐き気に襲われた様だが、持前の気力と体力で次の日からはまた元気にルート開拓に向かってくれた。頼りになる男である。 トレードマークだったヒゲは、下山後ニューデリーできれいさっぱり剃り落としてしまい、残念がる女の子も多かったようである。


サティッシュ・クマール・パタニア
リエゾンオフィサー
インド空軍勤務
キシャン・アリヤ
コック
バハドゥル
キッチンボーイ