バナー
本文へジャンプ  

 

                   デリーの休日

6月27日 (日)
 今日は日曜日のため、IMFもシカールも休みなので、再輸出のためのバッキングを行なう。あとは、思い思いにショッピングを楽しむ。インド人のあつかましさにも慣れ、皆なかなかの買い上手になる。

6月28日 (月)
 午前中、連絡将校のクマール氏といっしょにIMFへ出向き、登頂の報告をする。午後、シカールトラベルにて、荷物の再輸出のための打ち合わせをするが、彼らの口ぐせの『No Problem』という言葉で簡単に終わってしまう。

6月29日 (火)
 朝、シカールトラベルのラジェシユワー氏がgoods Listを受け取りにホテルに来る。ついでに、IMFへ提出する報告書を手渡す。午後、買い物の後、在印日本大使館を訪ずれ、登頂の報告をすると、我々が無事遠征を終えたことを、心から祝福してくれる。大使館の人たちは、ヒマラヤ遠征隊の事故処理には、頭を悩ませているらしく、彼らの苦労に頭が下がる。

6月30日 (水)
 朝から、荷物の通関のため、ラジェシュワー氏といっしょに空港へ行く。簡単に行くはずであったが、送り主になっている佐々木隊長が先に帰国しているため、どこの航空会社も取り扱ってくれない。 IMFの証明書をもらい、やっとパンナムで扱ってくれることになるが、時間切れで明日また来いとのこと。なんとなく嫌な予感がする。夜、ライチャウドリー氏に招かれ、彼の家を訪問し、久しぶりにインド家庭料理を味わう。ライチャウドリーさんはベンガル地方の出身であるので、デリーの料理とはかなり違っている。我々には、こちらの方がよく合うみたいであった。しばらくぶりに飲んだビールに、皆すごく酔ってしまい、娘さんのドーラーさんと日本の話に花が咲く。

7月1日 (木)
 今日は通関が出来るだろうかと不安の中、パンナムヘ出かけるが、簡単な荷物のチェックがあっただけで、通関を終えることができた。これで、やっと肩の荷がおりる。午後は、暑さの為、何をする気にもなれずホテルでゴロゴロ過ごす。

7月2日 (金)
 シカールトラベルの社長であるクマール氏の招待で、タージマハールホテルにて、昼食をごちそうになる。このホテルは、インドでも最高級のうちのひとつなので、我々のYMCAホテルとは月とスッポンぐらいの差があり、我々も思わず足がすくみそうであった。おかかえのバンド演奏を聞きながら、イタリア料理を味わう。一度くらいこういう所に来るのも、インドという国を知ることになると思うが、あまりの差に驚かずには居られない。夜、会計の佐々木を口説き、連絡将校のクマールさんといっしょに、レストランのゲイロードヘタ食に行く。ゲイロードでは、客が少なかったせいか、バンドの人たちが、日本の曲を演奏してくれた。今日は豪華な一日であった。

7月3日 (土)
 連絡将校のクマールさんと彼らが所属している山岳団体のお偉いさんがホテルを訪ずれ、必要なくなった装備を安く売り渡す。これで、デリーでの滞在費をうめることができた。夜、クマールさんに招かれて、夕食をごちそうになる。

7月4日 (日)
 今日は、朝からアーグラヘ出かけ、タージマハールやアーグラ城を見物する。ここはインドで有名な名所であり、その美しさと荘厳さに圧倒される。しかし、このクソ暑さには、好い加減、嫌気がさしてくる。その上、冷房付きのパスの冷房が壊れる始末で、踏んだり蹴ったりである。

7月5日 (月)
 デリーに居るのも今日で最後である。買い忘れた土産物を探して、市内をもう一度歩き廻る。夜、ラジェシュワーさんがホテルに迎えに来て、いっしょに空港へ行く。最後の最後までよく世話してくれ、感謝にたえない。名残惜しさはあるが、日本への望郷にかられて機上の人となる。