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                      BC〜C1
5月31日 (月) 雪

 昨夜は星が出ていたのに、朝起きるとまた雪である。しかし、今日は休養日であるし、皆高度障害の為、動く気もしない。午前中、ジョギンをアタックしていたインドのボンベイ隊が下ってきて、最近の遭難事故の事やマンダT峰に関する話をしていく。天候が悪かった為、数件の死亡事故が発生しているそうで、我々も改めて気持ちを引き締める。午後、若干荷物を整理し、夕食は我々で作る。全員食欲不振気味であったが、久し振りの日本食に食が進む。やっぱりお茶漬に梅干がうまい。


6月1日 (火) 晴後曇
 いよいよ今日から登攀活動に入るが、隊員の体調はまだ思わしくなく、各自12〜13kgの荷で出発する。ケダルガンガを対岸に渡り、マンダT、U峰間からのびる尾根末端のモレーンの斜面を登る。モレーンを登り切って尾根を回り込み氷河に入ると、眼前にアイスフォール帯とその奥にそびえるマンダT峰が現われる。なだらかな氷河をアイスフォールの手前まで行き、そこに荷物をデポし、川口と佐々木(貴)でルート開拓に向かう。しかし、右岸の岩壁沿いの雪壁を喘ぎながら登ってゆくと、フィックスを要する所もなくアイスフォール上のプラトーに出た。標高約5,000mであり、そこを第1キャンプ ( C1 ) 予定地とする。さらに少し上まで登り上部の氷河とマンダT峰北稜の様子を見るが、まず大丈夫、いけそうと話し合う。体調のよくない佐々木隊長と曽我部は、アイスフォール手前のデポ地まで荷上げした後、一緒に下る。

6月2日 (水) 晴後雪
 今日は昨日より5kg程荷物を増やして荷上げに出発する。相変わらず体調は思わしくなく、モレーン帯やアイスフォール帯の急登には苦しめられる。しかし川口は快調で、C1予定地へ荷上げした後、さらにデポ地の装備まで荷上げしてしまい、我々は唯々驚くばかり。 BCへ下ると、アベックのトレッカーが登って来た。久し振りに見る女性の姿に目を細めるが、純情?な我々は「ハロー」というのが精一杯であった。

6月3日 (木) 晴
 クマール氏が上部の様子を見たいというので、若干の荷物を持ってもらい出発する。しかし曽我部は、依然高度障害の為体調が悪く、本日は休養とする。クマール氏は元気で川口とくっついて登るが、後の二人はマイペースでゼーゼーいいながら後を追う。目下の楽しみは、今晩の晩飯と明日の休養日だけである。

6月4日 (金) 晴
 待ちに待った休養日。久し振りにぐっすり眠る。昼頃、日よけのコウモリ傘をさしたイギリス人が5人登ってきた。テレイサガールの壁を登りに来たとの事で、メンバーの中にはジョーブラウンがいたと知りびっくりする。後日このパーティにアイゼンを借したのだが、今だに返ってこない。

6月5日 (土) 晴
 今日はC1建設である。クマール氏を含めた5人で出発する。曽我部は依然体調が悪く辛そうである。アイスフォール上の平坦な雪上にテントを設営するが、荷上げの後ではのろのろとしか動けない。川口と佐々木(貴)の二人が、そのままC1に入る。日が当り、テントの中の暑いこと。川口いわく「ヒマラヤとはもっと寒いとこやと思とった」。さらに対岸の雪壁から落ちる雪崩の音が度々氷河に響き渡り、昼寝をする気にもなれない。